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築地の片隅にある、54年前の記憶

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みなさん、この記念碑を知っていますか?

1954年3月1日、ビキニ諸島で、アメリカ軍による水爆実験で、
日本のマグロ船、第五福竜丸が被爆した日です。

第五福竜丸は、水爆実験を行われるのを知っていたのですが、
アメリカ軍によって、発表されていた、危険区域外で操業していました。

しかし、実際の爆発の威力は、初期想定の3倍。

わが国に投下された、広島、長崎の原爆の約1000倍だったそうです。

そのため、第5福竜丸を含め、周りの海で操業していた多くの船が、
「死の灰」を浴びました。

死の灰という事実を知らず、焼津に寄港した第五福竜丸。

水揚げされたマグロやサメは、築地に送られ、競りにかけられるところでした。

焼津で乗組員23人や、船をガイガーカウンター(被爆した放射能を測定する装置)で
測定したところ、なんと大変な数値に!!

死の灰の事実も、数日後、京都大学の教授が発表しました。

築地の職員が、その事実を伝えられ、慌てて市場内の地中に廃棄。

そこは「マグロ塚」と、呼ばれることになりました。

現在は存在しないマグロ塚の記憶を残そうと、この記念碑は
作られました。

第5福竜丸の乗組員の23人のうち、8名の方が亡くなり、
残りの15名の方たちも、重い原爆症で、辛い日々を送っているそうです。

また、実験が行われたビキニ諸島の島民も、被爆。
大変な事態となったそうです。

この実験の背景は、アメリカと旧ソビエトとの、核開発競争。

のちに、冷戦と発展しました。

形が変わった冷戦が、平和の祭典オリンピックの開会と共に、
グルジアで始まりました。

悲しいことです。


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